2016年1月6日水曜日

Kokeniwa of Japan 「西芳寺」Saihouji

◆Kokeniwa of Japan 「西芳寺」in Kyouto

<How to make Kokeniwa>
The reason for Saihoji became moss garden.

It will clean the fallen leaves.!!
To continue 300 years.
and 
Natural. Mountains and rivers and the power of people.

<世界文化遺産 「西芳寺」の歴史>


◆苦難を乗り越え、人に愛され
西芳寺の庭のすごさは人が作った「苔庭」でない。自然に生えてきた苔。

◆苔の下に秘められた奇跡の庭 ------

江戸時代の中ごろ、約300年前の出来事である。
人の足は絶え
・そのときから、西芳寺の庭師・僧は、庭の手入れを不断に行ってきた。
手入れのほとんどは落ち葉を掃き清めることである。
300年間つづけられてきた。
苔の表面を繊細な竹ほうきでなでることで、
苔の伸びすぎを抑え、さらに、
髪の毛に櫛をいれるように。苔はそれにこたえるかにように、より綺麗になる。




 ◎洪水と地形

西側に山があり、西日があたらない
前を流れる川がしめりけを苔にあたえる
寺地は桂川の支流が蛇行する屈曲点にあるため、年間を通して湿気が溜まりやすく、平均湿度は95%を越えている。理想の地形




◎wikiより

飛鳥時代
聖徳太子の別荘
奈良時代
行基が法相宗の寺院「西方寺」を開山
鎌倉時代
法然によって浄土宗に改宗
室町時代
1339年、夢窓疎石(むそうそせき)により、禅宗(臨済宗)として再興。「西芳寺」と改めた。
当時は苔ではなく、白砂が敷かれた美しい庭。大桜を望む景観は「洛陽の奇観」と呼ばれた。

1469年応仁、西軍の攻撃により焼失。
1485年、洪水により被災。
本願寺の蓮如により再興された。
安土桃山時代
1568年には丹波国の柳本氏による兵乱により焼失。
織田信長が天龍寺の策彦周良に命じて再建させた。
江戸時代
寛永年間と元禄年間の2度にわたって洪水にも見舞われ荒廃した
元は枯山水であった荒廃した庭園がでおおわれるのは江戸時代末期に入ってからのようである。
明治維新
神仏分離令の廃仏毀釈により、境内地は狭められ荒廃した。
1878年に現在の本堂、指東庵などが再興されている。
昭和
1928年より庭園が一般公開された
平成
1994年 世界文化遺産



◎◎参考サイト
http://ja.japantravel.com/view/%E4%BA%AC%E9%83%BD-%E8%8B%94%E5%AF%BA-%E8%A5%BF%E8%8A%B3%E5%AF%BA

http://d.hatena.ne.jp/freecoffee/20130101/1357069036


◆京都カテゴリで分類
http://www.kyotofukoh.jp/sitemap.html

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